2013年06月11日
有盛神社北側作業
午後から、有盛神社の「キンギョゴ」(中島川)側の伐採作業を行いました。
20年余り文化財という事で、一度も作業できず荒れ放題になっており、気になっていました。文化財課に相談したら予算がないので町内会作業等で対応してほしいと言われており、まずは自分ではじめる事にしました。

20年余り文化財という事で、一度も作業できず荒れ放題になっており、気になっていました。文化財課に相談したら予算がないので町内会作業等で対応してほしいと言われており、まずは自分ではじめる事にしました。


2013年06月11日
大熊龍王神社
現在の龍王神社が位置する下側の住宅地は、かつて「上殿地(ウントノチ)」と呼ばれていました。与人(よひと:薩摩藩統治時代の島役人の最高役職)を務めていた喜佐統(きさとう)という人の屋敷が建てられていた場所です。
その上殿地の背後の山には、「観音寺」が建てられていたそうです。この大熊の観音寺は、その後、赤木名に移され、さらに伊津部へ移される変遷をたどりました。
薩摩藩から派遣されてくる役人たちの信仰の対象として、仮屋(代官所)の移転に伴い、観音寺も移動していたようです。明治時代以後、神仏分離令により観音寺は廃絶されましたが、喜佐統の子孫により、ふたたび大熊集落の龍王神社観音堂に一緒に祀られているのだと伝えられています。



その上殿地の背後の山には、「観音寺」が建てられていたそうです。この大熊の観音寺は、その後、赤木名に移され、さらに伊津部へ移される変遷をたどりました。
薩摩藩から派遣されてくる役人たちの信仰の対象として、仮屋(代官所)の移転に伴い、観音寺も移動していたようです。明治時代以後、神仏分離令により観音寺は廃絶されましたが、喜佐統の子孫により、ふたたび大熊集落の龍王神社観音堂に一緒に祀られているのだと伝えられています。



