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buki1950
buki1950
写真大好きおじさんです!
キヤノンカメラを愛用して約40年、シマでの写真ライフを楽しんでいます!
奄美の良さを一緒に発信しましょう。

2011年02月28日

笠利町用集落

笠利町の用集落に久しぶりに来た。
ここの海岸には奇岩があり、朝日撮影には特別の場所である。
もう少し天気が回復し、ガスが無くなった頃の早朝に訪れたいものである!
集落には公民館の他に体験交流館が建設されている。
八月踊りの頃もいいのかもしれない。
夕方にさしかかり斜光が美しい!
集落から佐仁方面に向かう道路沿いに休憩所が出来ていて開けている。
冬の海の荒々しさと、民家と奇岩を切り取ってみた。

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Posted by buki1950 at 16:51Comments(0)自然

2011年02月28日

笠利墓地

大笠利の墓地に寄ってみました。
夕日を浴びて白い十字架が、いっそう白く浮き上がり整然とした雰囲気を醸し出していました。
いつ来てもきれいに清掃されており、ご先祖を敬う大笠利の人々の敬けんさが見てとれます。
大きく伸びた影が夕方の情緒を助長しています。
  

Posted by buki1950 at 09:22Comments(0)生活

2011年02月27日

金久中円形校舎お別れ会

2月27日(日)午前10時30分から、金久中学校円形校舎前にて老朽化に伴う解体で無くなる、円形校舎のお別れ会が行われた。
第1回卒からの卒業生や恩師、教育委員会等関係者多数が集まり、名瀬市で2番目に設立された中学校の円形校舎に惜しみない拍手と感謝の気持ちを込めてお別れした。
元校長先生や歴代の先生方も乾杯や万歳三唱等を行い感無量のお別れ式となった。
元々校庭も校歌もなく自分たちの手で段々畑を切り開いて、運動場にしたり「朋友の唄」を高価にしたりと設立当時は難儀と苦労が伴った!
今の生徒たちには使用されていない校舎だが、その想い出は計り知れない。
倒壊する恐れがなければ、記念館として資料等と一緒にいつまでも残しておきたい校舎だ。
この校舎を終わり頃に使った40代頃の年齢の生徒の想い出は、狭い、暗い、臭いと−イメージであったようだが、10回卒の私たちの時代までは大事な教室校舎だった。
今後も後輩たちに語り継いで「校歌」の中の「白亜の殿堂」を心の中に刻み込んでいく努力をしたいと思う。
さようなら「円形校舎」
平成23年3月末で姿を消す円形校舎へ。



  

Posted by buki1950 at 15:24Comments(2)歴史

2011年02月27日

アヤマル岬

冬のアヤマル岬も春を告げ始めている。
太平洋と東シナ海がぶつかり合う沖の潮騒は大きな音を轟かせているが、岬の丘ではきれいに刈り取られた芝生の間から春の草花が顔を出し始めている。
この日もアマチュアカメラマンも芝生に這いつくばって春を感じて撮影していた。


  
タグ :アヤマル岬

Posted by buki1950 at 09:58Comments(0)

2011年02月26日

冬の笠利土盛海岸

真夏が一番似合うかもしれないが、行ってきました土盛海岸!
夏に比べると少しどんよりしています。
でも、やはり奄美の海です。
たまたま青空が広がり、気持ちよい景色になりました。
本当に誰もいなくて、しばらくは貸し切り状態でした!
帰る頃に観光のお客さんがみえましたが、気持ちが洗われました。
  

Posted by buki1950 at 18:58Comments(0)

2011年02月26日

重野安繹流謫の地

皆さんは「重野安繹」という方をご存知ですか!
西郷隆盛と同じように奄美に流浪されています。
瀬戸内町の阿木名集落の海岸近くに寺子屋あとが存在します。
案内板によると、1827年(文政十年)鹿児島郡坂元町に生まれました。
若い頃から学問に秀で、藩費を受けて江戸に出て学問を修めるほどでしたが、帰藩してまもなく同僚の金の使い込みによって罪を得て、31歳のとき遠島となります。
重野が乗った船は久慈に着き、上陸後、勝浦を経て阿木名に移り住みます。
重野は阿木名の有志達に要請されて、青少年に学問を教える為の私塾をこの海沿いの地に開きました。
漢籍を講じるなどその教化は近隣の村々にも及び、阿木名は学者村として優秀な人材を輩出する集落として名を馳せました。門弟として秦山英俊、鼎宮祥喜、森賢省、泉長旭、南喜美隣らが学んだそうです。
当時、重野は龍郷に流謫中であった西郷隆盛とも旧交を暖め、相互に訪問し合っていました。
また、土地のウミを妻にし、一女の娘ウヤスをもうけています。
安繹は天下に名を知られる文学者となってから島を訪れて引き取っています。
6年あまりの阿木名での生活の後、許されて帰藩した重野は、西郷隆盛の後任の御庭役となり
、生麦事件を発端とする薩英戦争の終結に向けて、イギリスと談判して決着へと導きました。
その後、歴史家、漢学者として考証史学を推進して学問を深め、近代史学の礎を築きました。
日本ではじめての文学博士。東京帝国大学名誉教授。
没年1910年(明治43年)行年84歳。
  

Posted by buki1950 at 16:44Comments(2)歴史

2011年02月26日

笠利町神の子海岸

好きな海岸の一つです!
昨日一昨日と上天気でしたのでドライブに出かけました。
やはり燦々と輝く太陽の下の砂浜は最高です。
白い雲はまだ夏雲にはなりきれませんが、2月に速すぎる要求ですね!
でもガスも薄く消えていて久しぶりに気持ちのよい撮影が出来ました。
ちょっとしかない岩場でしたが、しっかりとアオサ穫りのご婦人がせっせと励んでいました。

  

Posted by buki1950 at 13:01Comments(0)自然

2011年02月26日

大浜夕景

大浜の夕景は夕日がなくても絵になる!
もう少し天気回復して来ると日没後の空はグラデーション化していつまでも見とれてしまう風景に変わる。
  
Posted by buki1950 at 09:19Comments(0)夕景

2011年02月24日

スモモの木に

白く咲き誇るスモモ木にピンクの花びらが見えた!
近寄ってみても同じ樹木の枝である。
近所を見回してみると、桃の木にピンクの花びらだけの樹木が2本見えた。
昨年に交配したのだろうか?
接ぎ木をしたような形跡もない!
実も違う2種類の果実になるのだろうか、観察を続けてみたい。

  

Posted by buki1950 at 09:15Comments(0)植物

2011年02月23日

大浜夕景

久しぶりに好天に誘われて大浜海浜公園まで足を伸ばした!
夕日が出るのではないかと、第2駐車場に車を止める。
既に3組の先客がいる。
すべてがカップルだった!
とりあえず一番手前に車を止めて、端から端まで歩いて画角を考えた。
やはり一番手前付近がベストポジションかなと感じる!
それまでも数十カットシャッターを押す。
静かに太陽が落ちていく。
水平線近くまでいくと雲の帯がたなびいて来て、かすかに太陽をかき消していった。


  
タグ :大浜夕日

Posted by buki1950 at 13:06Comments(2)

2011年02月22日

宇検中央林道2

林道脇に「緑の募金事業」という看板を見つけた?
よく見てみると「宇検村赤土山再生事業」と書かれている。
県民や企業からの募金を活用して地域住民や林業関係者、ボランティアの活動で植樹をしているようです。
一方では伐採を進めながら、植林もしているのでしょうか?
林道脇にはリュウキュウバライチゴの花や、桜ツツジが満開を迎えて過ぎようとしていた。
タブの木の若芽は萌えいずるような紅色が緑の森に映えている!




  

Posted by buki1950 at 13:59Comments(0)自然

2011年02月22日

宇検村中央林道

20日の日曜日に瀬戸内町西古見灯台から宇検村中央林道を散策して来た。
小雨が降り灯台は霞んで見えたが、林道そいでは植物たちが緑の葉を元気に生き生きと見せてくれた。
林道は90%以上が舗装されていて、走りやすい!
霧のかかる状態の瀬戸内町との尾根伝いだが、時折両方の集落や海も見え隠れする。
赤土山付近に近づくと樹林が切り開かれた場所に遭遇した。
この林道はこのような作業をスムーズにする目的で創られたのかなと思うほど、利便性が良い。
去年の豪雨で崩れたような場所はなかったが、下流域ではどのような状況だったのか気になった。
どの林道でも遭遇するのが大好きな樹木の「ヘゴ」だ!
いつ見ても撮りたくなる。
今日は雨しずくを含んで喜んで見えた。


  

Posted by buki1950 at 10:02Comments(0)

2011年02月21日

かんつめの碑

瀬戸内町の帰り道、宇検中央林道を帰ったが、赤土山までの中央付近に「かんつめの碑」がひっそりと奉られている。値もと有志の募金活動で建設されたらしい。
唄の歌詞にもあるが、世界のどこにも奴隷制らしき制度があったらしい?
一人でたたずんでいると、ひんやりするものを感じるが手を合わせて祈るしか自分に出来る方法はない。
宵闇にまぎれて来るとどんな感じに映るのだろうか?




  

Posted by buki1950 at 16:39Comments(1)

2011年02月20日

瀬戸内町公民館講座合同閉講式

午前中から瀬戸内町の公民館講座合同閉講式にいって来た。
式典には間に合わなかったが、担当するフォト教室の講座生の皆さんの展示作品を見て来た。
5〜6年のベテランから1年目の方々だが、力強い作品にホットした。
昨年もそのほとんどを教室外の撮影しながらの指導だったからです!
最初の月だけカメラや写真のノウハウを説明し、いきなり本番です。
ベテランの皆さんにはある程度の説明で納得していただき、初心者の皆さんには絞りやシャッタースピードも手ほどきしながらです。
毎年70代の方々もお見えになるので、毎回初心者クラスのようになります。
それでもベテラン勢には、ちょっとしたテクニックのアドバイスで身に付けていただいています。
新年度は講師依頼があるやも知れませんが、続けられるようでしたら今後も実地指導の方法で望んでいきます。



名瀬へ帰る道は、西古見経由宇検中央林道を選択しました。瀬戸内湾の青のりがまばゆいドライブでした。  

Posted by buki1950 at 21:09Comments(0)写真

2011年02月19日

ビロウ

ビロウ(蒲葵、枇榔、檳榔)はヤシ科の常緑高木。漢名は蒲葵、別名ホキ(蒲葵の音)、クバ(沖縄)など。古名はアヂマサ。

ビロウの名はビンロウ(檳榔)と混同されたものと思われるが、ビンロウとは別種である。

葉は掌状に広がる。ワシントンヤシにも似るが、葉先が細かく裂けて垂れ下がるのが特徴である。東アジアの亜熱帯(中国南部、台湾、南西諸島、九州と四国南部)の海岸付近に自生し、北限は福岡県宗像市の沖ノ島。沖縄などでは庭木・街路樹に用いるほか、葉は扇や笠に利用し、また若芽を食用にする。

淡島 自凝(おのごろ)島 檳榔(あぢまさ)の島も見ゆ 放(さき)つ島も見ゆ (古事記・仁徳天皇御製)

ビロウにちなむ地名として、枇榔島(宮崎県門川町、鹿児島県志布志市、南大隅町)、蒲葵島(高知県大月町)などがある。

古代天皇制においては松竹梅よりも、何よりも神聖視された植物で、公卿(上級貴族)に許された檳榔毛(びろうげ)の車の屋根材にも用いられた。天皇の代替わり式の性質を持つ大嘗祭(だいじょうさい)においては現在でも天皇が禊を行う百子帳(ひゃくしちょう)の屋根材として用いられている。民俗学の折口信夫はピロウに扇の原型を見ており、その文化的意味は大きい。扇は風に関する呪具(magic tool)であったからである。  
タグ :ビロウ

Posted by buki1950 at 16:05Comments(0)植物

2011年02月19日

アダン

アダン(阿檀)はタコノキ科の常緑小高木。亜熱帯から熱帯の海岸近くに生育し、非常に密集した群落を作る。時にマングローブに混生して成育する。
アダンは高さ 2-6m ほどになる常緑の小高木である。成長とともに太い枝が横に展開し、そこから気根(支柱根)を垂らして接地する。この支柱根が木を安定させ、風倒を防いでいる。
葉は幅 3-5cm、長さ 1-1.5m にも達する細長い披針形。基部はやや広がっており、茎を包むような形で生じる。葉は皮質で硬く厚く、落ちても茎には跡が残る。アダンの葉の辺縁部や主脈には鋭い棘がある。主脈上のそれは先端近くでは先向き、根本近くでは根本向きになっており、中程では交互の向きに並んいるため、どちら向きにでも刺さるようになっている。
アダンは雌雄異株であり、夏季に雄株は房状の花序、雌株は球状で小型の花序をつける。雄花序は長さ 20-25cm であり、複数の緑色-黄白色の葉状の総包と白色の肉穂花序からなる。総包は長さ 10-20cm、肉穂花序は 4-5cm ほど。肉穂花序は多数の小枝に分岐しており、そこから多数の雄蕊が生じる。雌花序は太い軸の先端から生じる広楕円形。葉状で白色の長さ 10-20cm の総包十数枚を伴う。雌蕊は楕円型。
果実は直径 15-20cm ほどでパイナップルに似た外見であり、パイナップルと同様に集合果である。個々の果実は倒卵形で、長さ 4-6cm、幅 3-5cm。内果皮は繊維質、外果皮は肉質。
若いうちは緑だが熟すと黄色くなり、甘い芳香を発する。果実はヤシガニの好物とされる。  
タグ :アダン

Posted by buki1950 at 12:05Comments(0)

2011年02月18日

ガジュマル

世界にはガジュマル類の植物が800種ほどあるとされるが、日本に見られるガジュマルは、日本では主に南西諸島などに、世界では台湾、中国南部やインドからオーストラリアなどにかけて自生している。また小笠原諸島では植栽がなされている。
樹高は20m。実は鳥やコウモリなどの餌となり、糞に混ざった未消化の種子は土台となる低木や岩塊などの上で発芽する。幹は多数分岐して繁茂し、囲から褐色の気根を地面に向けて垂らす。垂れ下がった気根は、徐々に土台や自分の幹に複雑にからみつき派手な姿になっていく。ガジュマルの名の由来は、こうした幹や気根の様子である「絡まる」姿が訛ったという説がある。気根は当初はごく細いが、太くなれば幹のように樹皮が発達する。地面に達すれば幹と区別が付かない。こうした過程で、土台となる木は枯れていくことから別名「絞め殺しの木」とも呼ばれる。観賞用に、中の枯れた木を取り除いて空洞状にした木も存在する。枝には輪状の節があり、葉は楕円形または卵形、革質でやや厚く、毛はない。イチジクのような花序は枝先につき、小さい。
ガジュマルの名は、沖縄の地方名だが、由来は不明。前述の「絡まる」の他、一部には『風を守る』⇒『かぜまもる』⇒『ガジュマル』となったという説がある。
  
タグ :ガジュマル

Posted by buki1950 at 19:43Comments(0)

2011年02月18日

モノクローム

通常「モノクロ」とよんでいる。
同義語として;無彩色。モノトーン。
例えば、白・黒・灰。など
今日はいつも見慣れている風景を一昔前の表現方法で撮影してみました。
50年前までは、この写真のような写し方が当たり前でした。
色のない世界で、どのように表現するかですから白から黒のトーンの中で物語がないといけません。
この写真から何を想像されますか?
  

Posted by buki1950 at 10:04Comments(0)

2011年02月16日

バレンタインデーは?

14日の日の夜にチョコを置いてあった。
早朝の勤務時に一粒をもらったのが始まりだが、嬉しい限りだ!
すべて義理チョコだが、少しはチョコレート業界に寄与できたなと実感する。
日本の記念日はそのほとんどが関連企業に踊らされて出来ている。
こんな事を書くと夢のある人々に怒られそうだが、おじさんの独り言と許して欲しい!
奄美でも特産品や観光を売る手だてに参考的に考える事は出来ないものかな?
市政への提言も少ないと新聞報道で知ったが、議会報告も少なかったようだ。
日本の政治の縮図が地方から始まっている。
せっかくのチョコレートのお祭りをもっと政治に活かして欲しい?
今日になって噛み締めている!

  

Posted by buki1950 at 21:09Comments(0)生活

2011年02月16日

スモモの話

甘酸っぱくてジューシーなすももは、初夏から夏にかけて多く出荷される果物です。すももは大きく分けて、中国原産の「日本すもも(プラム)」と、ヨーロッパコーカサス原産の「西洋すもも(プルーン)」の2つに分類され、それぞれ色や味が異なります。ちなみに、すももは英語で「プラム」、フランス語で「プルーン」といいます。

日本すももは主に生食用として栽培され、一方西洋すももは生食用のほか、乾燥用やジャム、コンポートなど加工用としても栽培されています。健康補助食品で有名な「ドライプルーン」は西洋すももを乾燥させたものです。

余談ですが、「李下に冠を正さず」ということわざの「李」とはすもものこと。すももの木の下で頭に手をやると果実を盗んでいるように見えるため、人に疑われるような行いはすべきではない、というたとえです。


大浜へ行く途中の県道沿いに、小宿中学校のスモモ園がある。
久しぶりの青空なので車を降りて青空バックにパチリです!  
タグ :スモモ小宿

Posted by buki1950 at 18:18Comments(0)