2011年02月27日
金久中円形校舎お別れ会
2月27日(日)午前10時30分から、金久中学校円形校舎前にて老朽化に伴う解体で無くなる、円形校舎のお別れ会が行われた。
第1回卒からの卒業生や恩師、教育委員会等関係者多数が集まり、名瀬市で2番目に設立された中学校の円形校舎に惜しみない拍手と感謝の気持ちを込めてお別れした。
元校長先生や歴代の先生方も乾杯や万歳三唱等を行い感無量のお別れ式となった。
元々校庭も校歌もなく自分たちの手で段々畑を切り開いて、運動場にしたり「朋友の唄」を高価にしたりと設立当時は難儀と苦労が伴った!
今の生徒たちには使用されていない校舎だが、その想い出は計り知れない。
倒壊する恐れがなければ、記念館として資料等と一緒にいつまでも残しておきたい校舎だ。
この校舎を終わり頃に使った40代頃の年齢の生徒の想い出は、狭い、暗い、臭いと−イメージであったようだが、10回卒の私たちの時代までは大事な教室校舎だった。
今後も後輩たちに語り継いで「校歌」の中の「白亜の殿堂」を心の中に刻み込んでいく努力をしたいと思う。
さようなら「円形校舎」
平成23年3月末で姿を消す円形校舎へ。



第1回卒からの卒業生や恩師、教育委員会等関係者多数が集まり、名瀬市で2番目に設立された中学校の円形校舎に惜しみない拍手と感謝の気持ちを込めてお別れした。
元校長先生や歴代の先生方も乾杯や万歳三唱等を行い感無量のお別れ式となった。
元々校庭も校歌もなく自分たちの手で段々畑を切り開いて、運動場にしたり「朋友の唄」を高価にしたりと設立当時は難儀と苦労が伴った!
今の生徒たちには使用されていない校舎だが、その想い出は計り知れない。
倒壊する恐れがなければ、記念館として資料等と一緒にいつまでも残しておきたい校舎だ。
この校舎を終わり頃に使った40代頃の年齢の生徒の想い出は、狭い、暗い、臭いと−イメージであったようだが、10回卒の私たちの時代までは大事な教室校舎だった。
今後も後輩たちに語り継いで「校歌」の中の「白亜の殿堂」を心の中に刻み込んでいく努力をしたいと思う。
さようなら「円形校舎」
平成23年3月末で姿を消す円形校舎へ。




2011年02月27日
アヤマル岬
冬のアヤマル岬も春を告げ始めている。
太平洋と東シナ海がぶつかり合う沖の潮騒は大きな音を轟かせているが、岬の丘ではきれいに刈り取られた芝生の間から春の草花が顔を出し始めている。
この日もアマチュアカメラマンも芝生に這いつくばって春を感じて撮影していた。


太平洋と東シナ海がぶつかり合う沖の潮騒は大きな音を轟かせているが、岬の丘ではきれいに刈り取られた芝生の間から春の草花が顔を出し始めている。
この日もアマチュアカメラマンも芝生に這いつくばって春を感じて撮影していた。



タグ :アヤマル岬
Posted by buki1950 at
09:58
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