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buki1950
buki1950
写真大好きおじさんです!
キヤノンカメラを愛用して約40年、シマでの写真ライフを楽しんでいます!
奄美の良さを一緒に発信しましょう。

2011年02月26日

冬の笠利土盛海岸

真夏が一番似合うかもしれないが、行ってきました土盛海岸!
夏に比べると少しどんよりしています。
でも、やはり奄美の海です。
たまたま青空が広がり、気持ちよい景色になりました。
本当に誰もいなくて、しばらくは貸し切り状態でした!
帰る頃に観光のお客さんがみえましたが、気持ちが洗われました。
  

Posted by buki1950 at 18:58Comments(0)

2011年02月26日

重野安繹流謫の地

皆さんは「重野安繹」という方をご存知ですか!
西郷隆盛と同じように奄美に流浪されています。
瀬戸内町の阿木名集落の海岸近くに寺子屋あとが存在します。
案内板によると、1827年(文政十年)鹿児島郡坂元町に生まれました。
若い頃から学問に秀で、藩費を受けて江戸に出て学問を修めるほどでしたが、帰藩してまもなく同僚の金の使い込みによって罪を得て、31歳のとき遠島となります。
重野が乗った船は久慈に着き、上陸後、勝浦を経て阿木名に移り住みます。
重野は阿木名の有志達に要請されて、青少年に学問を教える為の私塾をこの海沿いの地に開きました。
漢籍を講じるなどその教化は近隣の村々にも及び、阿木名は学者村として優秀な人材を輩出する集落として名を馳せました。門弟として秦山英俊、鼎宮祥喜、森賢省、泉長旭、南喜美隣らが学んだそうです。
当時、重野は龍郷に流謫中であった西郷隆盛とも旧交を暖め、相互に訪問し合っていました。
また、土地のウミを妻にし、一女の娘ウヤスをもうけています。
安繹は天下に名を知られる文学者となってから島を訪れて引き取っています。
6年あまりの阿木名での生活の後、許されて帰藩した重野は、西郷隆盛の後任の御庭役となり
、生麦事件を発端とする薩英戦争の終結に向けて、イギリスと談判して決着へと導きました。
その後、歴史家、漢学者として考証史学を推進して学問を深め、近代史学の礎を築きました。
日本ではじめての文学博士。東京帝国大学名誉教授。
没年1910年(明治43年)行年84歳。
  

Posted by buki1950 at 16:44Comments(2)歴史

2011年02月26日

笠利町神の子海岸

好きな海岸の一つです!
昨日一昨日と上天気でしたのでドライブに出かけました。
やはり燦々と輝く太陽の下の砂浜は最高です。
白い雲はまだ夏雲にはなりきれませんが、2月に速すぎる要求ですね!
でもガスも薄く消えていて久しぶりに気持ちのよい撮影が出来ました。
ちょっとしかない岩場でしたが、しっかりとアオサ穫りのご婦人がせっせと励んでいました。

  

Posted by buki1950 at 13:01Comments(0)自然

2011年02月26日

大浜夕景

大浜の夕景は夕日がなくても絵になる!
もう少し天気回復して来ると日没後の空はグラデーション化していつまでも見とれてしまう風景に変わる。
  
Posted by buki1950 at 09:19Comments(0)夕景