2015年06月29日
提灯花
チョウチンバナ、皆さん知っていますか?
「フウリンブッソウゲ」が正式名称かな!
ハイビスカスの原種なのでしょう。
ブッソウゲは「仏葬花」がなまったものとも言われています。
雨の日はこのようにして楽しんでいます。

「フウリンブッソウゲ」が正式名称かな!
ハイビスカスの原種なのでしょう。
ブッソウゲは「仏葬花」がなまったものとも言われています。
雨の日はこのようにして楽しんでいます。

2015年06月29日
ヤンゴバナ
夜香木(やんごばな)が咲き出しています!
ナイトジャスミンと言われていますが、夜になると花開きとても強い香を漂わせます!
シマでは屋仁川の歓楽街のお化粧にちなんで「ヤンゴバナ」と呼んでいます。


ナイトジャスミンと言われていますが、夜になると花開きとても強い香を漂わせます!
シマでは屋仁川の歓楽街のお化粧にちなんで「ヤンゴバナ」と呼んでいます。


2015年06月29日
2015年06月29日
上野五重塔
この塔は寛永8年(1631年)、のちに初代大老となる土井利勝によって、寛永寺の境内である上野東照宮内に建立されました。当時は神仏習合の考えにもとづき、神社である東照宮も、寺院である寛永寺の境内に作られたのです。
この五重塔は寛永16年(1639年)に花見客の失火で焼失しましたが、同年、利勝により再建されました。その後、明治の神仏分離政策の結果、五重塔は寛永寺に帰属することになりましたが、昭和33年(1958年)に寛永寺から東京都に寄付され、現在、上野動物園の敷地内にその姿をとどめています。
上野動物園内に重要文化財の五重塔があるとは思いませんでした。
先日上野寛永寺境内からは鉄金網柵で全体が見えませんでした。
私がいた頃に上野動物園に取り込まれていたのですね!
半世紀前だし、足を運ばないと分からないものですね?

この五重塔は寛永16年(1639年)に花見客の失火で焼失しましたが、同年、利勝により再建されました。その後、明治の神仏分離政策の結果、五重塔は寛永寺に帰属することになりましたが、昭和33年(1958年)に寛永寺から東京都に寄付され、現在、上野動物園の敷地内にその姿をとどめています。
上野動物園内に重要文化財の五重塔があるとは思いませんでした。
先日上野寛永寺境内からは鉄金網柵で全体が見えませんでした。
私がいた頃に上野動物園に取り込まれていたのですね!
半世紀前だし、足を運ばないと分からないものですね?

2015年06月29日
上野東照宮
1627年(寛永4年)、津藩主藤堂高虎と天台宗僧侶天海僧正により、東叡山寛永寺境内に家康公を お祀りする神社として創建され、1646年(正保3年)には正式に宮号を授けられ「東照宮」となりました。
現存する社殿は1651年(慶安4年)に三代将軍・徳川家光公が造営替えをしたものでございます。
その後戊辰戦争や関東大震災でも焼失せず、第二次世界大戦にも不発弾を被っただけで社殿の倒壊は免れました。 江戸の面影を現在に残す貴重な文化財でございます。
東照宮とは徳川家康公(東照大権現)を神様としてお祀りする神社で、日光や久能山のほか全国に数多くございます。
春はぼたん・桜の名所として、秋は紅葉狩り、お正月は初詣や冬ぼたん鑑賞の方で大変賑わい、 開運・学業などの祈願成就を願う方が後を絶ちません。
また、東京では数少ない本格的な江戸建築を間近でご覧になれる神社として、日本各地はもちろん、 外国からも多くの方がご参拝になります。 かつて江戸市民の家康公への信仰の対象であったこのお宮が、 今もなお多くの方に心の安らぎを与えていることは変わりないようでございます。
御祭神:徳川家康公 徳川吉宗公 徳川慶喜公



現存する社殿は1651年(慶安4年)に三代将軍・徳川家光公が造営替えをしたものでございます。
その後戊辰戦争や関東大震災でも焼失せず、第二次世界大戦にも不発弾を被っただけで社殿の倒壊は免れました。 江戸の面影を現在に残す貴重な文化財でございます。
東照宮とは徳川家康公(東照大権現)を神様としてお祀りする神社で、日光や久能山のほか全国に数多くございます。
春はぼたん・桜の名所として、秋は紅葉狩り、お正月は初詣や冬ぼたん鑑賞の方で大変賑わい、 開運・学業などの祈願成就を願う方が後を絶ちません。
また、東京では数少ない本格的な江戸建築を間近でご覧になれる神社として、日本各地はもちろん、 外国からも多くの方がご参拝になります。 かつて江戸市民の家康公への信仰の対象であったこのお宮が、 今もなお多くの方に心の安らぎを与えていることは変わりないようでございます。
御祭神:徳川家康公 徳川吉宗公 徳川慶喜公


