2012年12月18日
有盛神社の落ち葉
平 有盛(たいら の ありもり)は、平安時代末期の平家一門の武将。平重盛の四男。母は正室の藤原経子。
異母兄の資盛に従い、三草山の戦いに参戦。源義経に敗れた後は、屋島の平家本陣に落ち延びた。最後は壇ノ浦の戦いにおいて、資盛、従兄弟の行盛と三名で手を取り合い、海中に身を投じた。享年22。
と歴史上ではなっている。
伝説では奄美群島には資盛、行盛、有盛が落ち延びたという平家の落人伝説がある。行盛神社、有盛神社、資盛の大屯神社が祀られ、特に平安文化が融合した諸鈍シバヤは重要無形民俗文化財に指定されている。
また、香川県観音寺市大野原町五郷有木に、平有盛が有木と名を変えて暮らしていた平家落人村があったことが、生駒記「新編丸亀市史4資料編:平成六年刊行」に記載されており、太刀や木造阿弥陀如来座像も残されている。
私の住む奄美市浦上町には、有盛神社が有り伝説ではなく本人が来ていたのだろうと語る老人も多かった。
昭和初期の頃の人の話では、江戸時代に有盛神社にあった「甲冑」が本人の物かを調べるために、薩摩に持ち帰る途中七島灘で舟が沈んだと言う話も残っている。
今年の度重なる台風で参道にも境内にも落ち葉が降り積もり、9月の清掃後もこのように山盛りの落ち葉が有る。


異母兄の資盛に従い、三草山の戦いに参戦。源義経に敗れた後は、屋島の平家本陣に落ち延びた。最後は壇ノ浦の戦いにおいて、資盛、従兄弟の行盛と三名で手を取り合い、海中に身を投じた。享年22。
と歴史上ではなっている。
伝説では奄美群島には資盛、行盛、有盛が落ち延びたという平家の落人伝説がある。行盛神社、有盛神社、資盛の大屯神社が祀られ、特に平安文化が融合した諸鈍シバヤは重要無形民俗文化財に指定されている。
また、香川県観音寺市大野原町五郷有木に、平有盛が有木と名を変えて暮らしていた平家落人村があったことが、生駒記「新編丸亀市史4資料編:平成六年刊行」に記載されており、太刀や木造阿弥陀如来座像も残されている。
私の住む奄美市浦上町には、有盛神社が有り伝説ではなく本人が来ていたのだろうと語る老人も多かった。
昭和初期の頃の人の話では、江戸時代に有盛神社にあった「甲冑」が本人の物かを調べるために、薩摩に持ち帰る途中七島灘で舟が沈んだと言う話も残っている。
今年の度重なる台風で参道にも境内にも落ち葉が降り積もり、9月の清掃後もこのように山盛りの落ち葉が有る。


Posted by buki1950 at 17:23│Comments(0)
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