2012年11月21日
仏像墓
皆さんはご存知ですか?
龍郷町龍郷集落の名瀬側入り口から、左の山裾を奥へ進むと案内板があります。
昭和54年12月20日に龍郷町の指定文化財となっています。
所有者は荒垣常二氏です。
等身大の地蔵を刻してある墓石、破風型のの屋根の部分が崩壊している墓石は、いずれも1725年代のものである。
石質は加治木石と目されているが、当時これだけの彫刻を施した墓石は本町に見当たらない。
等身大の地蔵の円柱石には、天嶺常輿居士、横面に大島名瀬間切瀬師子村笠利輿人道覚行年六九歳、享保十乙巳歳七月八日と刻されてある。
また、隣の破風型の墓石の中央には、柳屋永春大姉と刻され、いずれも笠利家十代頃の由緒ある人々の墓と考察されると、案内されています。
一度ご覧あれ!




龍郷町龍郷集落の名瀬側入り口から、左の山裾を奥へ進むと案内板があります。
昭和54年12月20日に龍郷町の指定文化財となっています。
所有者は荒垣常二氏です。
等身大の地蔵を刻してある墓石、破風型のの屋根の部分が崩壊している墓石は、いずれも1725年代のものである。
石質は加治木石と目されているが、当時これだけの彫刻を施した墓石は本町に見当たらない。
等身大の地蔵の円柱石には、天嶺常輿居士、横面に大島名瀬間切瀬師子村笠利輿人道覚行年六九歳、享保十乙巳歳七月八日と刻されてある。
また、隣の破風型の墓石の中央には、柳屋永春大姉と刻され、いずれも笠利家十代頃の由緒ある人々の墓と考察されると、案内されています。
一度ご覧あれ!




Posted by buki1950 at 09:43│Comments(0)
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