2012年11月05日
富山丸の碑
昭和19年6月29日、8千㌧の輸送船富山丸は沖縄守備に向かう4千余りの将兵と軍需物資を満載して、奄美大島の徳之島亀津沖南下中、敵潜水艦の魚雷を受け瞬時に沈没し、3,763名の将兵と75名の船員が富山丸と運命を供にした戦死の記録と、弔魂の辞が記された碑と塔が建立されている。
ここは古仁屋の小学校の横の高台に有り、古仁屋市街地が一望できる場所だ!
古仁屋の役場付近から東側に登って来ると、供養塔案内の石柱や「なごみ坂」の石碑が道路脇に見える。
瀬戸内町には町全体のあらゆる所に戦跡や石碑が残る。
平和で普通の生活の出来る日本だが、多くの犠牲者の上に成り立っている国家だという事を忘れてはならない!
「絆」と言う言葉が盛んに報道されているが、本物の「絆」を持つ心を育てて行かないと行けない。




ここは古仁屋の小学校の横の高台に有り、古仁屋市街地が一望できる場所だ!
古仁屋の役場付近から東側に登って来ると、供養塔案内の石柱や「なごみ坂」の石碑が道路脇に見える。
瀬戸内町には町全体のあらゆる所に戦跡や石碑が残る。
平和で普通の生活の出来る日本だが、多くの犠牲者の上に成り立っている国家だという事を忘れてはならない!
「絆」と言う言葉が盛んに報道されているが、本物の「絆」を持つ心を育てて行かないと行けない。




Posted by buki1950 at 09:51│Comments(0)
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