2012年08月09日
嶺山公園からの眺め
文治元年(1185年)壇ノ浦での源平合戦で敗走した平家の一族(平有盛)は、今の奄美市名瀬浦上町に陣を張り、源氏の追悼を恐れこの嶺山の頂上に見張り番所設け、海上の警戒と監視に当たらせ処と伝えられている。
明治になって大和村民で本土に出稼ぎに行った、その留守家族等は、この跡地に名札を立て線香をを上げ、酒、団子を供えて毎年出稼ぎ者の家内安泰を祈願していた。
大東亜戦争中は、大島本島の各市町村から多数の出兵将兵の家族等が毎月来て、兵士の武運長久を祈願して整地とされている。
そのような見晴らしの良い嶺山公園から、戸円、瀬戸内方面を眺めてみた。

明治になって大和村民で本土に出稼ぎに行った、その留守家族等は、この跡地に名札を立て線香をを上げ、酒、団子を供えて毎年出稼ぎ者の家内安泰を祈願していた。
大東亜戦争中は、大島本島の各市町村から多数の出兵将兵の家族等が毎月来て、兵士の武運長久を祈願して整地とされている。
そのような見晴らしの良い嶺山公園から、戸円、瀬戸内方面を眺めてみた。

Posted by buki1950 at 11:38│Comments(0)
│自然