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buki1950
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写真大好きおじさんです!
キヤノンカメラを愛用して約40年、シマでの写真ライフを楽しんでいます!
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2011年11月29日

解放に向かう奄美のほこらしゃ

第63回全国人権・同和教育研究大会鹿児島大会IN奄美のアトラクション「人権の夕べ」と題して、〜解放に向かう奄美のほこらしゃ〜が11月26日(土)午後5:30から奄美文化センターで行われた。
奄美史年表は奄美世(アマンユ)、按司世(アジユ)、那覇世(ナハンユ)、大和世(ヤマトユ)、『奄美財政分離』、アメリカ世と分けた寸劇と島唄で綴られた内容で満員の観客も感動の嵐のようでした。
中でも「ヤマトユ」時代では、薩摩藩島津家の植民地支配、砂糖の専売制、木曽川治水工事での砂糖専売で島民に強制を強いる、交易・取引・貨幣使用禁止で社会資本整備が放置された、ヤンチュ(家人=債務奴隷)身分の出現、島妻(愛加那、ウラトミ、ムチャカナ)の悲劇、
島民決起(母間一揆、犬田布一揆)、西郷隆盛と大和商社、勝手世騒動(黒糖自由販売運動)と丸田南里、西郷の手紙、ドイツ人の見た奄美、奄美財政分離期(52年間)差別的表現も多く存在した。太平洋戦争敗戦後、米軍統治下におかれた、祖国復帰運動が激しさを増した。
8年間も日本国憲法が適用されなかった。
多くの差別や困難を切り抜けて来た奄美は世界に誇れる「シママグチ」(奄美の言葉)方言を持っている地域としてユネスコで2009年2月21日に発表された。
解放に向かう奄美のほこらしゃ
解放に向かう奄美のほこらしゃ
解放に向かう奄美のほこらしゃ
解放に向かう奄美のほこらしゃ
解放に向かう奄美のほこらしゃ
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Posted by buki1950 at 12:06│Comments(0)歴史
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