2011年06月06日
大屯神社
文治元年(1185)年、壇ノ浦の戦いに敗れた平家一族は、源氏の追討を逃れるため、四国や九州を経て薩摩の島々に落ち延びた。その中で清盛の長男重盛の子、資盛、有盛、甥御の行盛の3人は喜界島を経て奄美に渡り、龍郷町戸口と浦上、加計呂間諸鈍に居城を構えた。
諸鈍で落ち着いた資盛(すけもり)は地元の人々の交流を深める為に広めたのが、所鈍シバヤの起源だと言われている。
大屯神社は、その資盛を祀って立てられたそうです。
普段はひっそりと静まり返っている神社ですが、シバヤの開催日は地元の人々や出身者、島内外からの観客で大賑わいを見せています。





諸鈍で落ち着いた資盛(すけもり)は地元の人々の交流を深める為に広めたのが、所鈍シバヤの起源だと言われている。
大屯神社は、その資盛を祀って立てられたそうです。
普段はひっそりと静まり返っている神社ですが、シバヤの開催日は地元の人々や出身者、島内外からの観客で大賑わいを見せています。





Posted by buki1950 at 20:56│Comments(0)
│歴史