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buki1950
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写真大好きおじさんです!
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2014年12月07日

くれないの塔

薩摩藩により1865年から奄美大島4箇所に白糖工場の建設が行われた。その1箇所が名瀬金久町にあった。工場の傍は山手になっており、その山腹に工場建設に携わる英国人技師たちの住宅が作られたようだ。住宅のあった山は以後、「蘭館山(らんかんやま)」と呼ばれるようになった。
 当時、欧米人を一様に「オランダ」と呼んでいたようで、「蘭」の字が付いたようだ。
(社)奄美大島青年会議所(=JC、順直輝理事長)は1日、奄美市名瀬金久町のらんかん山にある「くれないの塔」で慰霊式を開いた。参加者は、51年前に起きた自衛隊航空機の墜落事故を風化させないよう、犠牲者に哀悼の意を表した。
「くれないの塔で慰霊式」 慰霊は、1962年9月3日、血液輸送のため奄美に向かった自衛隊機がらんかん山に墜落し、住民1人を含む13人が犠牲になった事故に由来。奄美市が制定する「献血の日」(9月3日)に合わせ、式典開催とJCや自衛隊OBが毎年、慰霊碑周辺の清掃活動を行っている。
この日は、海上自衛隊鹿屋第一航空群から6人が来島。JC関係者ほか、自衛隊奄美大島駐在員事務所、奄美市名瀬隊友会(宮重太郎支部長)会員らが出席。また慰霊碑の清掃を行った、市民やNPO法人「ゆずり葉の郷」入所者も参列した。 
 快晴となったこの日は、同隊鹿屋基地所属のP3C対潜哨戒機が午前10時半の開会に合わせ、上空を追悼飛行。式では参列者全員による黙祷と合唱。また関係者による献花や焼香が行われた。
 海上自衛隊鹿屋第一航空群・園田直紀司令は「市民生活に不安を与えないよう任務を務めることは自衛隊の使命。住民による慰霊の式典開催に感謝したい」と述べた。
 順理事長は「この場所で起きた、痛ましい事故の歴史を風化させないよう次世代へ語り継がなければならない」と話した。(奄美新聞記事より)
くれないの塔


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Posted by buki1950 at 16:41│Comments(0)歴史
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